あなたに
意味を手放す
意味を手放す
松本智量
しばしば、お電話をくださる方がいらっしゃいます。
その方は一年ほど前に心を深く傷つけられた経験をされ、
以来、自分が生きている意味はあるのでしょうかと
毎回問うてこられます。
その訴えはいつしか私自身への問いにもなりました。
生きている意味。意味?
意味って、たしかに魅力的ですが、
意味って、けっこうくせ者で。
意味があると思うから生きていけることはあります。
しかし、「意味」に囚われて、生きづらくなることもあるのでは。
ありもしない「意味」に縛られていることもあるような。
意味なんて、あってもなくてもいい。
仏さまからそう呼びかけられているように私は思うのです。
とりあえず、お茶をいっぷくいただきましょう。
ほとけさんに見守られている
ほとけさんに見守られている
人生において悩みや苦しみといった負の部分はつきもの。
誰もがそれらを避けたいと思うけれども、
避けようとすればするほど、より苦しくなることも。
だからこそ、自分自身で、手探りでも、
その悩みや苦しみの解決に真正面から取り組む。
そんな時に「ほとけさんが見守ってくれている」と思うと、
ちょっと心持ちが楽になるかもしれません。
あなたを応援したい
世の中には辛いこと悲しいことが多すぎます。
そうした中で生きる意味を見出せなくなってしまうこともありますね。
そんなあなたに聞いて欲しい言葉があります。
それは仏願という言葉です。 文字通り仏様の願いです。
仏願は全ての人々が幸せになって欲しいというものです。
私の信じている仏様は「阿弥陀如来」と
いう仏様です。
この仏様は「いのちの如来」であり
「光の如来」です。
つまり「いのち」とは「光」であり希望
です。
気付かないかも知れませんがこの仏様は
常に私たちの傍に寄り添って見守ってく
ださっています。
別にこの仏様を拝まなくても良いのです。あなたが信じなくても仏様があなたを見放さないのです。そういう「お節介」な仏様が阿弥陀如来です。
何もしなくてもいい、普段と同じでいい、でもそういう仏様が常にいらっしゃるのだと気づいて欲しいのです。
あなたに「いのち」と「光」の希望が届きますように。 合掌